みなさんは両藤子不二雄の≪味≫をどのようにとらえてらっしゃるでしょうか。
一般には
・藤子・F・不二雄=『ドラえもん』をはじめとする健全で明るい作風
・藤子不二雄A=『笑ゥせぇるすまん』をはじめとするダークな作風
ってとこでしょうか。
もうここでかくのも莫迦莫迦しいくらいそんな単純なものではないのですが、
藤子Aは大衆的な『忍者ハットリ君』や『怪物くん』の作者でもあるわけだし、コンビニでも買えるSF短編を読めば藤子Fがダークな素養を持っていることは明白です。
たんなる知識不足の人に目くじらをたてるのもどうかと思いますが、この程度の認識の人が『自称・藤子マニア』なんて名乗っているのが現状なのです。
まぁあなたたちは酢豆腐でも食って舌鼓を打っていなさい。
藤子Fの『モジャ公』のシャングリラの話と、藤子Aの『マボロシ変太夫』の初期はほぼ同じテーマを扱っています。なんでも手に入れられる楽園に迷いこんだ主人公たち。ランドマークに近づけないというところまで同じ。
(夢の叶え方が『モジャ公』が空想、『マボロシ変太夫』がお金、というのは個性が出ていて笑えるが)
でも処理の仕方が全然違う。
『マボロシ変太夫』は不人気からのテコ入れという外的要因があったとはいえ、とうとうマボロ市(という存在)の謎は解明されないまま。結局ほったらかしになっています。
一方『モジャ公』は最後までキチンと謎解きをやっています。
こういう傾向は他の作品にも散見されます。
フシギなことが次々おこるのは両藤子不二雄とも変わらないのですが
≪なぜそうなったは一切説明しない≫藤子Aと
≪可能な限り科学的根拠を説明する≫藤子Fにわかれます。
これはなにもファンタジー部に限りません。ギャグでも基本的にはこのスタンスです。キチッと流れを作りそこにキャラクターを送りこむ藤子F、行き当たりばったりでキャラクターを動かす藤子A。
これはつまり
・藤子F=シチュエーションコメディ
・藤子A=スラップスティックコメディ
といいかえられるのではないでしょうか。
ギャグの質からすれば明らかに藤子Fの方が高い。今でも『ドラえもん』を読んで大笑いできます。でもキャラクターの面白さは(設定も絵も)藤子Aに軍配が上がる。
そこで思うわけです。
『藤子F作・藤子A絵のギャグ漫画がみたい!きっと最強のギャグ漫画ができるはずだ!』と。
この法則にピタリと当てはまるのが『仙べえ』なんですけど、これは描かれた時期が悪かった。あきらかに(特に藤子Fが)ノッってない時期の作品で、妙に悪辣な作品になってしまいました。
しかしこの組み合わせが最強であることを証明できる作品があります。
それが
『オバケのQ太郎』なんです。
『オバQ』はごく初期を除いて、藤子F案で作画はキャラクターによって担当を変える方式で描かれています。
・オバケ全般/パパさん/ママさん/神成さん=藤子F
・正ちゃん/伸ちゃん/小池さん=藤子A
・ゴジラ/よっちゃん/木佐くん/ハカセ/他のゲストキャラの大半=石ノ森章太郎
正ちゃんはQ太郎にたいするツッコミ役なので、そうおもしろみを発揮できないキャラなのですが、小池さんが出てくる回はもうまさに
『藤子F作・藤子A絵』のパワーを見せ付けてくれるのです。
オバQにおける小池さんは完全にコメディリリーフで、ホントにポイントでしかでてこないのですが、どれも見事におもしろい。
『自分が通報した精神病院の救急車に連れて行かれる小池さん』
『ロケットの動力の一部にされ傘で落下していく小池さん』
『オバQに無理矢理東京タワーのテッペンに住まわされそうになる小池さん』
どれも今思い出しても笑いがこみ上げてきます。とにかく小池さんの体技(っていってもいいでしょ)と表情がサイコーなんですよ。
ごく稀に小池さんが主役の話があるのですが、これはスペシャルトラックといってもいいもので、Q太郎と正ちゃんが小池さんを尾行して小池さんの職業を突き止める『頭にドのつく小池さん』なんて全編爆笑ですから。
『新オバケのQ太郎』では小池さんの出番がすっかり減り、たまに出てきてもコメディリリーフ的役回りでなくなったのは残念ですが、そのかわりもうひとりの藤子A画のキャラ、伸ちゃんが大ブレイクしてくれます。
『(旧)オバケのQ太郎』では『ビートルズの好きな気のいいお兄さん』だった伸ちゃんが、思春期の悩みを全面にだすようになり、ちょっとノイ○ーゼ的キャラに生まれ変わったのです。
Q太郎とクラスメートの河井伊奈子の仲に激しい嫉妬心を持つ伸ちゃん。もやもやを晴らすため勉強に打ち込もうと机に向かうが、次の瞬間には『キーッ!』と奇声をあげてノートをけ散らしてしまうのですが、ここでも藤子Aの絵がサイコーにいいのです。こんな顔されたらそりゃ笑いますよ。
『オバケのQ太郎』はさまざまな理由により現在入手が極めて困難な状況です。しかもその理由のひとつとしてささやかれているのが『合作だから版権処理が難しい』といわれているのです。
なんと皮肉な話でしょうか。合作だからこれだけおもしろいのに、合作だから再販が難しいとは。しかしこんな状況がいいわけがありません。なんとかしてこの傑作がごくふつうに本屋で買えることになるように祈るばかりです。
(2004.05.17 更新)