2004.04.05 (月)  土俵の違い

もう実際のところ
・阪神 3勝
巨人 3敗
という事実は動かしようがないわけで、≪巨人が強大でないと盛り上がらない≫という固定観念があるアタシにとっては、痛快な反面、ちょっとマズいんじゃないの?ってな気持ちもあるわけですよ、正直なところ。

きのうの試合前、星野SDが『今日は巨人に勝ってほしい』みたいなことをいっていましたが、アタシも2回の2死満塁のピンチの時、心のどっかで
『たのむから二死タン、打ってくれ』
と思ってました。
どうしてこんなことを思ったのか、単純な話で、それほど巨人と阪神の力の差を感じたからなんですけどね。ここで巨人が勝たないとペナントの火が消えてしまいそうな気がしたから。

アタシが痛切に思ったのは、ホントに巨人は勝とうとしているのかなってこと。全然それがみえない。そういうのがみえたのは初戦の上原だけ。打ったとか打たなかったとか、そういうのは結果だから別にいいんだけど、≪阪神=調子がいいだけ、巨人=調子が悪いだけ。本当の実力は巨人の方が上≫みたいな認識じゃ優勝戦線にさえからめないと思います。

阪神は巨人となんか戦ってなかったですよ。阪神が本当に戦っているのはダイエー。だから今は、というかペナントレースは日本シリーズでダイエーともう一回戦うためのプロセスのような感じさえするんです。

去年の日本シリーズでね、第7戦が終わった後、選手・監督・コーチ陣全員が泣いたらしいけど、これってすごいことですよ。大の大人が泣くんだから。変な話、どんな強いチームでも年間最低50試合は負けるわけだから、そこまで負けにたいして敏感なわけはないですよ。
それでも泣いた。しかも全員。

悔しくって悔しくって、でも後で冷静になって考えてみるとやっぱりダイエーとの力の差があったことを認めざるをえなかった。だからまたさらに力をつけてダイエーに挑戦したい。ウチも頑張るから、ダイエーも絶対日本シリーズにでてきてください。そんな感じじゃないでしょうか。

阪神ナインは知ってますよ。特に矢野はイヤというほどわかってますよ。史上最強打線が巨人ではなく、まして阪神でもなく、ダイエーだってことを。あの打球の力強さを目の当たりにしたら、巨人の姥桜打線が物足りなく思えて当然でしょう。

阪神がいるのは、そんな結構レベルの高いところです。でも巨人もそれに追いついてほしい。それでこそ本当にペナントが盛り上がると思うんですがね。


2004.04.12 (月)  ベンチの中のモチベーション

きのうの試合は仕方がないですよ。まぁゴリのホームランがことごとくソロってのがね。それに坪井のスライディング、ありゃやっぱりイカンよなぁ。
…なんの話してるんでしたっけ?いや違うんです。阪神ですよ。

打線が悪い!なんていってる人もいるけど、きのうは川上が良すぎました。アタシはよく2点とったと思っているぐらいだもん。
しかも先発が下柳でしょ。この人が3点とられるのは折込済みですからね。
つまりきのうは負け予定の試合だったんですから、こっちとしてもショックはないんですよ。

それにしても、きのうの勝負を決めたのは、土曜日のオレ流采配ですよ。8回ウラ、ノーアウト満塁、1点ビハインドの場面で岩瀬をつぎ込んだ、あの采配がきのうの中日の勝利を確実にしたんだと思うんですよ。

今年から岩瀬はストッパーになったわけで、いくら絶対抑えなきゃいけない場面とはいえ、ビハインドの場面で岩瀬は出せないですよ。それをオレ流は出してきた。
しかもね、一番大事なのは、マウンドにあがった岩瀬がものすごく納得している表情していたことです。納得できたからこそ岩瀬は最高のピッチングができたし、チームの雰囲気も盛り上がった。阪神にも『今年も岩瀬はいい!』というイメージを植え付けることになったろうし。

話が変わるようだけど藤本鳥谷の件もね、『結果のでている藤本を使わないとチームの雰囲気が悪くなる』って決め付けている評論家の人が多くてね。でもそれは違うだろうと。たしかに藤本になんの説明もなく鳥谷がスタメンだったらそうなんだろうけど、もし藤本が納得していたら?って話なんです。

監督(&コーチ陣)の力量は試合に出ていない選手のモチベーションを保つことなんじゃないかと思うんです。
これはアタシの経験上なんすけど、一番悲しいのは、他人からみても自分が苦しい立場の時、ちゃんと納得できる言葉を掛けてくれる上司がいないことでしたから。そうなると自然にヤル気もなくなりますよ。
(どうでもいいけど『そんなことでクサるなんてたいしたヤツじゃない』なんて切り捨てたつもりの人間を、アタシは一番軽蔑します)
その点岡田とオレ流はうまいことやってるんじゃないかと思うんですけどね。

一方巨人ですよね。なんか貯金もできたみたいで、巨人贔屓の人もホッとしているみたいですが、そんな悠長なことをいっている場合なんですかね。というのもここほどベンチにいる選手のメンタルケアが重要なチームはないと思うのに、それができているとは全然思わないから。結局スタートからでている選手でしか戦っていない。(ピッチャーを含めてね)

もし巨人がベンチが一丸となって戦ったら、そりゃ強いですよ。たぶんブッチギリで優勝すると思う。でも『ストッパーが…』とか『調子が上がらない選手が多くて…』なんていっているうちは、まだまだ巨人は恐くないですね。


2004.04.19 (月)  阪神贔屓の自慢

神宮3連戦、結局鳥谷の出番は日曜日の代打だけでした。(結果は三振)
『東京六大学の、神宮の大スターだった』鳥谷としては、いわば故郷に錦を飾れなかったわけですが、現在の状態や状況、実力をあわせて考えると、ある程度しかたがないことだったのではないでしょうか。

これはまぎれもない試練です。将来阪神を背負って立つ≪義務≫のある鳥谷にプロの壁を感じさせるための試練です。しかしそれは実力的なものだけでしょうか。

彼が入団したのは阪神タイガースという、かなり特殊なチームです。
たぶん内情はたいして他のチームと相違ないとは思いますが、なにせ取り巻く環境が全然違います。和田豊コーチが指摘した通り『トータルでモノを見てくれない』ファンが非常にいっぱいいます。そして同時に『トータルでモノを見』ようとすらしないマスコミ(とタニマチ)もかなり多く存在します。

たぶんこういう経験は、アマチュア時代に体験したことはないでしょう。文句なしのエリートである彼は、大学以降はチーム内での競争すら皆無であったと思われますし、打てないことを周りから叩かれることもなかったはずです。純粋に敵の投手とだけ戦っていればよかった。
しかし阪神に、しかも猛烈な注目の中で入団したからにはそういうわけにはいきません。いくら鳥谷が精神的にたくましいといっても、おそらくそのストレスはハンパなものではないはずです。

これはつまり、鳥谷は敵と戦う前に、まず『取り巻く人々』と戦わなければならないのです。

ここで少し藤本との比較をしてみたいと思います。といっても野球の実力の比較ではありません。あくまで『取り巻く人々』を通しての比較です。

藤本がここまで阪神ファンに受け入れられたのは、大雑把にいって3つの理由があると思います。

 ・ルックス
 ・苦労人
 ・阪神ファン

≪ルックス≫、これは、たしかに若い女性にいわせると『かわいらしい顔』らしいです。これはアタシにはわかりません。しかし非常に親しみやすい顔をしているのは間違いありません。

≪苦労人≫は、一度大学時代に腰を痛めて、野球を辞めていることにあります。こういうのを聞かされると、野球好き、というよりスポーツ好きの人はかなりグッとくるのです。

≪阪神ファン≫、これはかなりのアドバンテージです。兵庫県は明石で育ち、自ら『子供のころから阪神ファンだった』と公言する彼を応援したくなるのは自然です。

これでおわかりでしょう。藤本は入団した時点で、すでに阪神ファンに受け入れられる素養を十分に満たしていたのです。

では鳥谷はどうでしょう。
残念ながら、鳥谷にこういう要素はまったくありません。しかも≪東京生まれのエリート≫というのは関西人がもっとも嫌う、というか本能的に拒絶するたぐいの人種です。
(本当は東京生まれではないが、関西にはそのあたりをひとくくりにして考えている人が多い)
つまり鳥谷は本質的に阪神ファンには受け入れられづらいといえるのです。

たしかに田淵もそうでした。ほぼ鳥谷とおなじ環境で育ったといっても過言ではありません。しかし田淵には全面的に阪神ファンに受け入れられる出来事がありました。入団2年目の1970年。そう、頭部へ死球を受け、生死をさまようことになったからです。ああいうことがあると阪神ファンは肩入れしたくなる。『自分たちといっしょに苦労を乗り越えた』という気分にさせてくれるからです。

これは仮定の話ですが、もし開幕から鳥谷が打ちまくってレギュラーを不動にしたとしたら、おそらく阪神ファンにとっては、思い入れの持ちにくい選手になってしまったのではないでしょうか。
他球団のファンから『鳥谷ってホントいい選手だな』と問われても『う、うーん。たしかにええ選手やけど。けどオレは藤本の方が好きやなぁ』といわれる選手になったかもしれません。しかしそれでは≪阪神を背負って立つ≫選手にはなりえないのではないかと思うのです。

アタシは、いやアタシだけではないでしょう。おそらくすべての阪神贔屓の人にとって『鳥谷ってホントいい選手だな』と問われたら、胸をはって『そうやろ!ええ選手やろ!』といえる選手になってほしい。すべての阪神贔屓の自慢になるような選手になってほしいのです。

だから今は、そのための試練でもあると思っています。打てなくて打てなくて、そのうち『取り巻く人々』からの期待が一切なくなっても打てなくて。でもそういった苦労を重ねるごとに本当に台頭してきた時、すべての阪神贔屓の人に心から受け入れられる選手になっているはずです。

アタシはその時を待ちます。いつになるかわからないけど、待ち続けます。なぜなら待つだけの価値のある選手だと思うから。


2004.04.27 (火)  レッツゴー!マイク!

この巨人3連戦、なんかフシギな結果になってしまいました。
というのも

第一戦:勝ち試合→≪結果≫負け
第二戦:勝ち試合→≪結果≫勝ち
第三戦:負け試合→≪結果≫勝ち

3連勝できたかも、と思う半面、ヘタしたら1勝2敗になってたかもしれませんでしたからかね。
しかし、やっぱり3番打者がボトルネックになっているという事実は否めないわけで、せめてあとヒット一本でも余分に打っていれば、と考えてしまうのです。
でもアタシはこのキンケードという選手を、どうしても嫌いになれない。なぜならアタシの幼少の頃の記憶を呼び起こしてくれる存在だからです。

アタシがプロ野球に興味を持った昭和51年。この年阪神には2人の外国人選手がいました。ブリーデンとラインバック。キンケードは≪バッティングフォームと腕っ節≫はブリーデンを、≪ガッツと愛称≫はラインバックを彷彿とさせるからなんです。

今回はアタシがもっとも愛した助っ人。マイク・ラインバックについて書きたいと思います。なにせメチャクチャ思い入れの強い選手なので、かなり感傷的になるかと思いますが、どうかご容赦ください。

今の目でみればラインバックという選手、結構個性的ないでたちでした。もじゃもじゃ頭に口ひげ。しかし当時大洋にはシピンという≪ライオン丸≫と呼ばれたほど猛烈な選手がいたし、日本人でも阪急森本なんていう≪独特≫としか形容しようのない選手がいたので、ラインバックが特別個性的であったわけではありません。

入団初年のオープン戦の頃、リアルタイムでの記憶があるわけではないのですが、とにかくさっぱり打てなくて、いや打てないというより打球が外野まで飛ばないとすらいわれたようです。ところがシーズンに入ると快打を連発。この年打率.300、本塁打22本をマークします。また足もそこそこ速く、11盗塁を記録しています。

この選手の難点は守備でした。当時阪神のエースだった江本孟紀が書いた『プロ野球を10倍楽しく見る方法』にこんな記述があります。

『…わが僚友のラインバックの場合は、ファインプレイの連続でピッチャーの心臓を凍らせてくれた』『ピッチャーがイージーフライと思って振り返ると、あら不思議、ラインバックが、帽子を吹っ飛ばして打球の下にころげこんでくるではないか』『ラインバックのキャッチした場所はライトの定位置のすぐそばである』『彼の守備はいつもファインプレイもどき。事情を知らないファンの大喝采をあびるという、なんとも得な役まわりの男だった。…』

もちろん少しは脚色してあるのでしょうが、アタシの記憶でも実にファインプレイの多い選手で、彼のスライディングキャッチは甲子園の名物になっていたと記憶しています。

一部の人にはその≪カラクリ≫は知れていたんでしょうが、なにはともあれ、ファンは彼のひたむきプレーに喝采をおくりました。同時に入団したブリーデンが2年で解雇になったのにたいし、ラインバックが都合5年間日本でプレーしたのは、ファンへのアピール度の大きさもあったように思うのです。

アタシがこのガッツあふれる助っ人に特別な思いを持つようになったのは、ある出来事がきっかけでした。

たしか1977年のことだったと思う。甲子園のデーゲームを観戦した小学生のアタシは、ひとしきり選手の出待ちをして、阪神甲子園駅から電車に乗った。たしかこの時の出待ちは無駄骨だったように記憶している。
阪神の帽子をかぶり、球団旗を手にもって電車に乗っていたアタシに向かって、応援団の人とおぼしい人が声をかけてきた。

『僕ら阪神ファンか?あっちの車両にラインバックおんでぇ』

あわてて車両を移ると、たしかにラフなかっこうをしたラインバックが電車に乗っていた。たぶん神戸の自宅に帰る途中だったのだろう。
若いファンはまずこのくだりを信じられないと思う。文句なしのスタープレーヤー、しかも外国人選手が電車通勤なんて!しかしたしかに彼は電車で通勤していた。そしてごくふつうに座席に腰かけていた。

アタシはとにかくサインをしてもらおうと、阪神子供の会の手帳とマジックをラインバックに差し出した。彼はしごくにこやかにサインをし、握手をしてくれた。子供のアタシに英語は話せない(実は今もだが)。だから何か会話をしたということではまったくないのだが、それはまぎれもなく生まれて初めて外国人とコミュニケーションをとった瞬間だった。しかもその相手が阪神の選手だなんて!

それまでもラインバックは子供ながらに好ましい選手のひとりだった。しかしこの出来事以降、特に熱心に応援する選手になった。たぶんこの頃から大好きだった田淵と同等の存在になった気がする。


ラインバックといえば、江川のデビュー戦での逆転ホームランを思い出される方も多いのではないでしょうか。

江川の入団の経緯はググってもらうなりして、ま、とにかくこのデビュー戦の雰囲気たるやすさまじいものがありました。江川とすれば、ここで圧倒的な力を見せつけて悪役から脱却しなければならない。かたや阪神は当事者でもあったわけで、絶対負けるわけにはいかない。なにしろここで江川に抑えられでもしたら、今度は阪神の方が世間の笑い者になる可能性さえあったのですから。

1979年6月2日。場所は後楽園球場。異様な雰囲気の中、試合は始まりました。阪神はさして調子がいいとは思えない江川を攻略できず、イニングだけが進んでいきます。しかもこの年初めてのホームラン王を獲得する若き主砲・掛布はケガで欠場中。とにかく阪神にとってはかなりキビしい状況になっていったのです。

7回、若菜のホームランで2-3と追い上げたもののすでに2アウト。しかしそこからランナーを2人だして、バッターボックスにラインバックを向かえたのです。

結果は、まさに全阪神贔屓の夢をのせて、打球はライトスタンドに消えました。逆転3ラン。絶対負けちゃいけない試合。ギリギリのところで踏みとどまったのは、まさしくラインバックの一振りだったんです。

この試合をテレビで観ていた小学生のアタシは、『やった!』というより、とにかくホッとしたのを憶えています。もしこの試合阪神が負けていたら、アタシは野球にたいして興味を失ったかもしれません。なにしろ大好きな田淵は前年の暮れに新生西武ライオンズにトレードになっています。もしここで阪神が負けたら、江川に負けたら、すべてが茶番のように感じる可能性さえあったと思うのです。だからアタシの中でも特別な試合だった。

田淵のいない阪神、掛布の欠場している阪神。決めてくれるのは、大好きなラインバックしかいない気がしていました。そしてその通りやってくれたのです。もうそれはうれしいを通りこしていた気がします。なにか『これからも阪神を応援してくれ』というメッセージにとれたのです。
この一打で阪神は勝った。大好きなラインバックの活躍で勝った。アタシはまるで身内が活躍した、メッセージをくれたような感覚さえおぼえたのです。


≪まるで身内≫のラインバックの死を知ったのは、たぶん『探偵!ナイトスクープ』だったと思います。事故死とされてますが、自殺であったという説もあり、よくわかりません。
涙はでませんでした。ただただ信じられない気持ちしか持てませんでした。とにかくそれはプロ野球選手にたいしていだく感情ではなく、それこそ≪まるで身内≫の死に近いものでした。


阪神ファンに愛されたオマリーは特命コーチとして阪神に帰ってきました。バースだって生きている限り、なんらかの形で阪神に関わる可能性はあります。でもラインバックにはもうそれはありません。クサい云い方をすれば、もちろん多くの阪神贔屓の心の中にはいます。しかし所詮は記憶の中でしかない。

だからね、せめて、たとえほんのわずかでもラインバックの影をみることのできるキンケードには絶対成功してほしいんです。今の阪神ファンの子供が大人になるいつの日か、『オレの子供の頃にキンケードっていうガッツあふれる、ええ選手がおってな…』と語り継がれるぐらいに。


 
 
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