きのう近鉄の応援歌の歌詞にある『飛ぶボール』について書こうかと思ったのですが、まったくそんな事態じゃなくなってしまいました。異様に文が長くなりましたが、まぁお付き合いください。
まったくとんでもないことになったものです。正直≪合併≫という事態は想像すらしていませんでした。とにかく近鉄ファンもオリックスファンも気をしずめてください。アタシも気をしずめます。
ということで、今日は感情をすべて押し殺して、一般企業の一機関としての球団という観点で書いていきたいと思います。
同じ関西にありながら一球団だけ成功を収めているのが阪神です。しかしこれはセ・リーグに所属しているから、などという単純な問題ではないはずです。
大正期、阪神電鉄は沿線を活性化させるため、
甲子園球場をはじめとして様々な娯楽施設を建設しました。ただ沿線の活性化自体は私鉄ならどこでもやっていたことで、
阪急も南海も、もちろん近鉄もやっています。ところがのちにプロ野球を運営していく上での決定的な違いとして、阪神は甲子園球場という、とてつもなく大規模で本格的な球場をつくったということです。
阪急が西宮球場をつくったのは球団創設とほぼ同時です。大阪球場ができたのは南海球団ができてから10年以上あとのことです。しかし阪神の場合、まず夏の全国高校野球選手権ありきで球場がつくられました。それまでの鳴尾球場では観客を収容しきれなくなったため、あそこまで大規模な球場が必要だったのです。が、大金を投じてまで、大規模でしかも風格のある球場にしたことがあとあといきてくるのです。
甲子園をつくったからこそは
読売も阪神に球団経営をすすめたわけです。さらにいえば甲子園が本拠地だったからこそ阪神球団は常に一定の存在価値を示すことができた。『甲子園が本拠地だから阪神に行きたい』といったドラフト候補生はあとを断ちません。
そうなんです。阪神タイガースという球団は、あくまで甲子園ありきなのです。阪神ファンにとっても甲子園は文字通り聖地であり、どんなに弱い時でも≪チームは弱いけど甲子園は日本一≫という自負だけは持ってましたから。
南海、というか大阪球場の場合、商業地のド真ん中という立地のよさがかえってアダとなったといえます。少しでも観客動員にかげりがみえれば『あの土地でふつうに商売をした方が利益がでる』と考えるのは当然です。それでも南海さえやる気をだせばまだまだ球団を立て直せる可能性もあったと思いますが、あっさりダイエーに売却します。
阪急の場合はもっと切実だったと思います。球団が不採算事業であるのは当然として、術をすべて尽くしても赤字は解消できませんでした。西宮球場という、ある意味甲子園よりも優れた立地条件を持ち、しかも甲子園にこそ及ばないものの近代味のある西宮球場という器を持っている。にもかかわらず観客動員には反映されませんでした。
『阪神のせいで阪急の人気がでない』とずっといわれてましたが、個人的な感覚では阪神ファンと阪急ファンはあまりバッティングしない感じでした(創設のいきさつやら沿線のバッティング具合、また2リーグ分裂のいざこざからそう思われてもしかたがない部分は多々ありますが)。むしろ阪急にとってライバルといえるのは南海だったはずで、1960年ぐらいまでは阪神をも凌ぐ人気を有していた南海を追い越すことこそ目標だったような気がします。
1960年代後半になって、阪急は実力面でようやく南海に追いつきます。ところが人気面では追いつけない。阪急が3年連続で日本一になったころになって、ようやく追いついたといえますが、たんに南海の人気が凋落しただけで、阪急自体の人気はほとんど向上しませんでした。
皮肉なことにこの2球団は同じ年に球団を売却しています。またしても当時の個人的感覚になりますが、なにか≪共倒れ≫という感もありました。
ご存知のとおり、阪急はオリックスに、南海はダイエーになるのですが、福岡に行ったダイエーの話はおいておくとして、オリックスのやり方は、幼少の頃阪急ファンだったアタシにとって非常に不可解なものでした。
まずブレーブスの名前も捨てました。いや名前だけならいいのですが、あきらかに旧阪急ファンを切り捨てる行動があったことをおぼえています(この辺のことは記憶のみでソースがないのだが)。しかし『選手こそ引き継いだが、まったく新しい球団としてスタートしたい』という気持ちもわからないではないのです。しかしなにより西宮球場を捨てたことはいまだによくわからない。
アタシは
神戸で生まれ育ちましたが、グリーンスタジアムを本拠地にするときいた時『なぜそんな不便な場所にいくのか』というのが第一印象でした。
神戸一の繁華街である三宮からグリーンスタジアムのある総合公園駅まで約20分です。この数字からみればさほど遠く感じませんが、神戸市民の感覚からしたら、これはかなり遠いのです。
地図をみてもらえればわかりますが、神戸市にはJR・阪急・阪神(阪急と阪神は神戸駅以西神戸高速→山陽)という3本の路線が東西に走っています。そしてこれらの沿線に住む世帯が多数を占めるのです。
これらの沿線に住む人にとって、西宮球場は非常にアクセスがよいのです。乗り換えなしで行ける。ところがグリーンスタジアムの場合必ず三宮で乗り換えなければならない。こうなると電車に乗っている時間だけで30分以上かかる計算になってしまいます。しかも古くからの神戸市民にとって地下鉄沿線は新興沿線であり、感覚的にも非常に遠く思っている人が多いんです。
さらに、西宮球場は大阪市民にとってもそれなりにアクセスのよい球場だったのが、一気に遠くなってしまった。≪きてもらった≫神戸市民でさえ余計遠くなったと感じているのに、大阪以東の人にとって、もはや気軽にはいけない場所なってしまったハズです。
グリーンスタジアムはつくりそのものはいいけど、立地を含めた場合、西宮に勝るとは到底思えないんですよ。
阪急が成功したと言い難い以上、オリックスがすべてを捨てて自分流にやろうとしたのも『まぁしょうがないかな』ぐらいには思えますけど、もしもっと素直に阪急の遺産を受け継いでいたら、また違った結果になったかもな、とも思いますね。
話を戻します。
阪急と南海については先ほど書いた通りライバル関係であったといえると思うのですが、近鉄はどうだったのでしょう。
近鉄の場合、チーム力でも人気でも阪急よりさらにマイナーな球団でした。しかしそれがプラスに作用したのかもしれません。
関西以外の人には飲み込みにくい話ですが、アタシにとって近鉄は大阪のチームではなく、南河内のチームでした。長らく藤井寺球場に照明設備がなかった関係で大阪市内にある日生球場をフランチャイズにしていましたが、それでもチームの持つ雰囲気は南河内そのものでした。
(東京の人にわかりやすく説明するなら、阪急は自由が丘、南海が新宿、近鉄は葛飾か荒川)
それなりに洗練された雰囲気のあった阪急や南海とは違い、ドロ臭さオンリーの近鉄は関西パ3球団の中でも序々に異彩を放つようになっていったと思います。特に昭和54、55年の日本シリーズでの広島との死闘は、あの『
江夏豊の21球』を含めて、イメージを決定づけたのではないでしょうか。
阪急と南海が身売りした昭和62年、かつては南海はもちろん阪急にすらおよばない存在だった近鉄は完全にひとつのポジションを獲得していました。けして人気チームとはいえないが、一部に熱狂的なファンをもち、何年に一度は優勝争いに加わるというポジションです。
リーグのお荷物でしかなかった近鉄は、そのポジションからしても親会社の規模からしても身売りの可能性が極めて薄い球団になったのです。
その後、近鉄はさらにチーム力をアップさせます。日本一こそかなわなかったものの、2度のリーグ制覇を果たし、全盛期だった西武のライバルとしてさらにポジションを確立させていきます。
順調だった近鉄にとって最大の失敗は、もうあちこちでいわれていることですが、大阪ドームへの移転でしょう。使用料が高いとかそういうことではなく(もちろんそれも大きいが)なにかあれから雰囲気が変わってしまいました。
何度もいいますが近鉄の魅力はその泥臭さです。南河内の藤井寺や河内松原、古市、河内長野といった街をそのまま球団にしたような泥臭さが持ち味だった。甲子園とはあきらかに違う、過激なくせにどこか冷め切ったヤジは面白かったし、ああいうファンが近鉄の魅力をストレートに伝えてたんだな、と今になってみればつくづく思います。
ところが大阪ドームにいってから、そんな泥臭さは不思議なほどなくなってしまいました。大阪ドームのある辺りは、はっきりいって到底上品な地域とはいえず、そういう意味では近鉄に往々しい気がしていたのですが、あの中途半端に小奇麗な大阪ドームと近鉄は、どう考えても水と油でだったんじゃないでしょうか。
本拠地がいかに大切なものか、近鉄をみてると思い知らされます。あの外野席はいくら考えても酷い。まずかなりのホームランがスタンドに入らずグラウンドに跳ね返ってくる。これではホームランの爽快感も半減されます。
そしてなによりあの分断された客席は完全にファンの一体感を阻害しています。どの球場をみても野球をゆっくり堪能したいのなら内野席、騒ぎたいのなら外野席という棲み分けができています。なのに大阪ドームではそれができない。一体感のある応援ができない。たとえば千葉マリンなど到底いいつくりとはいえないのですが、外野スタンドのファンが一体になえる構造にはなっているのです。
一番最初に書きましたが、甲子園が優れているのはこういう部分にもあらわれています。甲子園という器が、あの熱狂的な阪神ファンをつくったといっても過言ではないでしょう。
とまぁざっと(これでもかなりざっとなんですよ!)書いてみましたが、本当に合併されるのかはわかりません。しかし、にもかかわらずなぜこんなことを書いたのかといえば、今回の合併騒動についてあまりにもあさはかな解釈が多かったからです。
近鉄がこうなったのも、オリックスがこうなったのも、すべて自己責任なんだよと。
けしてナベツネのせいでも阪神のせいでもないんだよと。
それがいいたかったのです。たしかに近鉄ファンもオリックスファンも辛いでしょうが、人のせいにする前に、もう一度考えてみてください。
最後に以前書いたことをもう一度なぞり書きします。
『なんでもかんでも
ナベツネのせいにすんなよ』
『アタシはナベツネより近鉄のオーナーの方がよほど問題があると思いますがね』